登壇したのは、次の2人です。
- 荒井 俊亮氏|株式会社ACROVE 代表取締役CEO
- 甲山 翔也氏|株式会社REJECT 代表取締役CEO
- モデレーター:福海 道登氏|FLICKSHOT Managing Partner
福海氏は、East Venturesのアソシエイト時代に2人へ直接投資した投資家です。2人の事業が生まれた瞬間を最前線で見ていた人物だからこそ引き出せる話が、このセッションの核になりました。
22歳と19歳——創業は「責任」と「原体験」から始まった
まず整理されたのは、2人の起業のタイミングです。荒井氏は22歳、大学4年生の頃。甲山氏は2018年12月、19歳・大学2年生の頃に創業しています。
甲山氏——支払いを肩代わりした結果の創業
甲山氏の実家は、東大阪の町工場です。ネジのプラスチック加工などを手がける小さな会社で、「大阪の商人のもとに生まれたからには商人になりなさい」と繰り返し言われて育ちました。
幼い頃からゲームに没頭してきた甲山氏には、最後に所属したeスポーツチームで、オーナーが選手への支払いを済ませないまま姿を消してしまう出来事がありました。責任を感じた甲山氏が、お金もないまま代わりに支払いを引き受けたことが、今の事業の出発点になります。
「自ら起業したいと思ってやったというよりは、結果的に創業せざるを得なかった」
ちょうどビジネスコンテストが出始めていた時期でもあり、「ちょうどいいエピソードができたな」という感覚もあったと打ち明けます。
最初の1年、収益はほぼゼロでした。eスポーツチームとして注目され始めていたことを活かし、「ユニフォームのスポンサーが取れるはず」と営業をかけたものの、まったく売れませんでした。そこで始めたのが、eスポーツとは関係のない、地元の小さな会社向けのホームページ制作事業です。5万円でホームページを作り、その利益をそのまま選手に還元する。地道な1年目でした。
「最近だとAI関連の受託をしながら事業を回している学生も、ちょこちょこいるかもしれない」。甲山氏は、当時の自分とよく似た感覚だと会場に語りかけました。
荒井氏——駅伝の原体験から生まれたD2C事業
荒井氏は日本大学法学部在学中、個人事業でメディア運営や営業などをいくつも手がけていました。大学4年生の頃、「人のためになりたい」という思いが芽生えたことが起業のきっかけです。中学時代に駅伝で日本一、高校時代に県で3番だった経験から、「駅伝選手に使ってもらえるプロテインなら、シンプルに喜んでもらえるかもしれない」と考えました。オーストラリア留学中にヴィーガン需要の高まりを目の当たりにしたことも重なり、えんどう豆プロテインのD2C事業を立ち上げます。
その後はEC事業者向けの支援や、ブランドを買収して育てる「ロールアップ」事業にも展開を広げ、これまでM&Aは約10社、現在グループ全体で9社を抱える規模になっています。
起業前にはスタートアップでのインターンも数ヶ月経験していましたが、「ほとんどできていなかった」と苦笑いします。一人で没頭してしまうマイペースな性格から、「組織で働くのは難しいかもしれない」と薄々感じていたそうです。「一匹狼で経営する起業しかなかった」と当時を振り返りました。
2人とも、最初から明確な起業意志を持っていたわけではありません。甲山氏は目の前の責任を引き受けた結果として、荒井氏は自身の原体験から芽生えた思いに従った結果として、それぞれ創業に至っています。
「怪しい投資家」から始まった、福海氏との出会い
続いて、福海氏がEast Venturesの担当者として2人に出資した当時の記憶を、3人がそれぞれの立場から語りました。
甲山氏に最初に出資の話が来た時、当時の印象は「めっちゃ怖かった」。大阪・京都を拠点に活動していた甲山氏にとって、東京の若手投資家から届く連絡は「怪しい」以外の何物でもありませんでした。親に相談すると「そんな話は絶対に受けない方がいい」と止められ、一度は逃げたこともあったそうです。
「若いやつがお金を持っているのはおかしい」
そう周囲から言われ続け、当時はなかなか受け入れられなかったと甲山氏は振り返ります。福海氏も「僕らも当時22歳くらいで、そちらから見たら『1日で1000万円動かせるわけがない』と思うのも当然」と当時の空気を補足しました。
出資を決めた背景には、甲山氏のチームが世界大会に出場した際のエピソードがあります。「日本代表として世界大会に出ている」と聞いて期待して見てみると、そのチームは手書きのロゴを地元の業者にプリントしてもらったTシャツ姿でした。対戦相手の海外チームには、大手企業がスポンサーについていました。福海氏の判断軸は、甲山氏の実績や経歴ではなく、この対比そのものにありました。「ここにきちんと資金を入れて組織化すれば、海外チームと同等以上のスポンサー収入が見込めるはず」。実績ではなく、資金と組織が入れば埋まる「差」を収益機会として読んだ、駆け出しの投資家の判断でした。
契約が固まったのは、福海氏がサウジアラビアに出張中のタイミングでした。オンラインで契約書にサインをする段になっても、甲山氏は最後まで不安が拭えなかったといいます。電話越しに福海氏から熱量を伝えられたことで気持ちが変わり、契約に至りました。甲山氏がお願いしたのは「とにかくフルコミットしてほしい」ということ。福海氏は、当時の甲山氏の会社の人事・経理・労務までをほぼ無償で担っていました。
「今思い返しても、あんなコミットする投資家に出会ったことがない」
甲山氏がそう語る一方、福海氏は「基本的にはハンズオフだったが、甲山さんに対してはほぼ唯一、深くコミットしていた」と明かします。起業家が最も気持ちが折れやすい時期に、他のVCとのオンラインミーティングに代理で出席し、「REJECTの人間です」と名乗って対応していたというエピソードも飛び出しました。
対照的に、荒井氏に対して福海氏は、深くコミットする関わり方ではありませんでした。それでも印象に残っているのは、大型カンファレンスに招待した際の行動です。他の起業家たちが会場でネットワーキングに励む中、荒井氏だけは会場の外で地域のマラソン大会にスポンサー協賛し、地道にプロテインを売って帰ってきました。
「これは投資して正解だった、と確信した記憶があります」
同じ投資家でありながら、甲山氏には経理・労務まで踏み込み、荒井氏には距離を置く。福海氏のスタンスは一律のハンズオン支援ではなく、創業者ごとに必要な支援の質と量を見極めて配分するものでした。
転換点は「なかった」と「あった」——2人の9年間の伸ばし方
事業の大きな転換点について尋ねられた時、2人の語り口は対照的でした。
甲山氏——延長線上に積み重ねてきた9年間
甲山氏にとっては、「これが転換点」と明確に言える出来事はあまりなく、常に事業は延長線上にありました。19歳での創業という早さそのものが最大の強みであり、それによって20歳の頃から投資を受けられたことが大きかったといいます。事業内容自体はこの9年間ほとんど変わっていない一方で、VTuber事業やゲーミングデバイス事業への展開は、「延長線上のオプション」を少しずつ積み重ねてきた結果です。直近の転換点としては、中東マーケットへの進出を挙げました。
「僕の場合、事業はずっと成長の中にストーリーがあって、文脈がずっと残ってきたタイプ」
荒井氏——2,000冊の読書からたどり着いたビジョン
一方の荒井氏にとっての転換点は、「ビジョンをきちんと定めたこと」でした。創業からしばらく経った2020年5月、コロナ禍で東京の店がすべて閉まっていた時期です。空いた時間を使って2,000冊近い本を読み込み、「会社とは何か」「日本人という民族はどういうものか」を考え抜いた末にたどり着いたのが、「社会の果樹園を創造する」というビジョンでした。
事業を果樹に例えると、ひとつの果実(事業)は美味しく実っても、いずれ枯れてしまいます。しかし土壌(会社)自体が大きくなれば、そこにまた新しい木が生え、果樹園全体が育っていく。この「循環」というキーワードが、日本という国のあり方と重なったといいます。世界で最も100年企業が多い国は日本です。事業を築いては次へ継承していく「循環型」のM&Aや新規事業立ち上げを、荒井氏は果樹園という比喩に重ねました。
もうひとつのヒントは、長崎のグラバー園でした。東インド会社の元従業員が独立し、後にコングロマリット企業を築いた逸話にちなんだものです。ただし東インド会社の歴史には、人身売買やアヘン貿易のルートを築いたという側面もあります。「誰かに感謝されるような事業をやろう」という思いも、この比喩には込めたといいます。
「日本人は、人を中心に成長させていくことがすごく得意な人たちだと思う」
荒井氏の見立てでは、ヨーロッパは差別の歴史からブランドを生み、アメリカは信用にレバレッジをかけることに長けてきました。それぞれの国の強みと対比しながら、荒井氏は日本人らしい事業のあり方を「社会の果樹園」という言葉に込めています。
同じ9年間でも、甲山氏には「これ」と呼べる転換点がなく、荒井氏には明確な言語化の瞬間がありました。事業の伸ばし方に唯一の正解はない。2人の対照的な語りが、そのことを物語っています。
「今19歳に戻るなら」——2人が語る学生起業の強みと弱み
これから起業を目指すU25世代に向けて、より実践的な問いが投げかけられました。
甲山氏——もう一度eスポーツを選ぶが、アプローチは変える
「今19歳に戻ったら、もう一度eスポーツをやるか」という問いに、甲山氏は「やるだろう」と答えつつ、業界の変化を率直に語ります。当時と比べて業界全体が大きくなり、参入者も含めて「わかっている感」が漂うようになったことに危機感を覚えているといいます。それでも領域としてはeスポーツを選ぶ。ただし「アプローチの仕方や順番は変わるはず」と付け加えました。近年は後発でも強いIPが出てきていることを実感しており、今なら自身のルーツでもあり売上も伸びている「ものづくり(製造)」の切り口からeスポーツ領域に当てていくと語りました。
荒井氏——「必ず伸びるもの」に賭ける
荒井氏の答えは、より原則的なものでした。
「みんなに『それちょっとおかしくない?』と言われるような事業の方がいい」
かつて自身がM&A事業を語った際、笑われたり信じてもらえなかったりした経験があります。荒井氏は、「ロールアップ」という言葉が一般化した今の状況を例に挙げました。日本の人口減少や社長の平均年齢上昇という構造的な課題を踏まえ、「あるべき未来」からの逆算で事業を選んできたことが、自身の成功体験になっているといいます。
もうひとつ大切にしているのが、「必ず伸びていくものに賭ける」という視点です。実態のないバブルに乗るのではなく、人口動態のように将来がほぼ確定している市場を選ぶ。例に挙げたのが、今注目しているアフリカのマーケットでした。ナイジェリアやチュニジア、ケニアなどでは今後、人口ピラミッドがきれいな形に育っていくことがすでに分かっている。「そこに賭けるのが好き」だと語ります。
「未来はこうあるべきだ、と信じられる領域で、でもなぜかみんなはそう思っていない。そういう領域なら、僕はどこでもいいと思う」
続いて、学生起業家ならではの強みと弱みについても本音が語られました。
甲山氏は、社会人経験を経て事業を始める起業家に対して「うらやましい」という感覚を今も抱いています。いろいろな会社の構造を知る機会がないまま、19〜20歳で経営を始めたことへのコンプレックスから、できる限り大手VCに入ってもらうことで会社の「後ろ盾」を作ろうとしてきたといいます。「もっと早くどこかの会社を経験してから起業できていたら」という思いがある一方で、「その分、早く始められたからこそ得られたものもあったはず」という感覚も持っています。
荒井氏も、学歴に関するコンプレックスを率直に語ります。当時のスタートアップコミュニティでは学歴が重視される空気があり、「D2Cと言ってもただの転売だよね」「SaaSと言っても、その言葉の意味わかってる?」と、話すら聞いてもらえないことが多かったそうです。「もう少し勉強しておけばよかった」と振り返ります。
VCは「他人事」——2人が語る、投資家との向き合い方
会場の学生から直接の質問が飛びました。質問したのは九州大学に在学しながら、AIを活用したプロダクト開発を手がける会社を経営している学生です。少しずつVCからも声がかかるようになってきた中で、資金調達だけでなく、その後のサポートも含めた投資家の見極め方を尋ねました。
甲山氏は、正直な現実を共有しました。
「みんな他人事だと思っておいた方がいい」
投資家、特に担当者は起業家ほど事業に命をかけているわけではなく、死に物狂いのコミットを期待するのは難しいという前提に立った方がいい、というのが甲山氏の考えです。それでも稀に、想像以上にコミットしてくれる「レアキャラ」のような投資家に出会えることがあります。その人自身を好きになれるかどうかで選ぶのがいいのではないかと語りました。
荒井氏も同様に、F VenturesやEast Venturesのように担当者の顔が見えるVCへの信頼を挙げます。担当者の数が絞られているVCは、社名を聞いただけである程度の信頼が形成されやすい一方、大企業の名前が入っていても実際の担当者が誰かわからず、異動や退職のリスクもあります。いざという時に頼れるとは限らないと指摘しました。
もう一つ、VCという存在の価値として2人が口を揃えたのが「起業家同士のつながりが生まれる場」であることです。福海氏の結婚式に、投資先の起業家たちが自然と大勢集まってきたことを例に、荒井氏は「普通に考えたらおかしいですよね」と笑います。お金をもらう相手でもない投資家の結婚式に、忙しい起業家がわざわざ駆けつける。それだけの関係性が、良いVCの周りには育っているということです。
9年間が示すもの
セッションの最後、これから起業を目指す学生たちに向けて、2人からメッセージが贈られました。
甲山氏は、起業の「楽しい時期」のあとに待つ厳しさを率直に伝えます。
「後半戦はもっと重たくなるので、そういうのが好きな人だけがぜひ起業してもらった方がいい」
そのうえで、F VenturesやEast Venturesのような投資家から信頼を得られれば、ファミリーのように楽しくやっていけるはずだと、後押しのメッセージを送りました。
荒井氏が語ったのは、孟子の言葉として知られる「天の時、地の利、人の和」という3つのキーワードでした。これまで出会った人、これから出会う人、そして今この時代・この場所に生まれたことにどんな意味があるのか。それを問い続けてビジョンに落とし込めば、結果としてそれが起業になっても、あるいは別の道を選んでも、自分の人生にとって良いものになっていくはずだと語りました。
最後に福海氏は、学生起業のいいところとして「早くから始めることで複利的にいろいろな経験が積み上がり、年数が経ったときに強くなっている」ことを挙げ、セッションを締めくくりました。
「将来があまり見通せない中でも、適切に壁打ちしてくれる人、アドバイスをくれるいい人を見つけて創業していくのがおすすめです」
怪しまれ、笑われ、コンプレックスを抱えながら積み重ねてきた9年間。甲山氏には転換点と呼べる瞬間がなく、荒井氏には明確な言語化の瞬間がありました。共通していたのは、周囲の反応に関わらず、目の前の事業を育て続けたことです。
Vol.2 了